どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:引き渡し、旅の途上、明日晴れるかな

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9月23日 金曜日 晴れ

 最終日。8時より最終の搬出作業。10時半に戻り、11時の引き渡し&点検に間に合った。博士が鍵を中国に持って帰ってしまった(白目)のと僕が間違って洗濯機のジョイント部品を持って帰ったこと以外は敷引で終わるの願うばかり。内装屋いわく「まあ住んだ人数と年数分ですよ」とのこと。

 12時前、シェアハウス解散。5年間で11人、僕は2年3ヶ月いた。最後のごみを引き取ってくれて医学部生氏がまず自転車で。彼のような人が医者になるならば、ぜひにお願いしたいと思える人である。いつか僕が脳と精神と性格で医者にかかるときは全摘出で構わないので、彼にお願いしたい。

 次は僕。京都に来て以来、何度も往復した路地もこれにて見納めである。せっかくなので、いつも登校のために通る道をゆっくりと走った。胸を衝く思いあり、通りがかりに見えた教会の十字架に、思わず頭を下げた。典礼歌203と204が静かに響く。

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 院生氏は歩いて研究室に立ち寄り、高知くんは車で僕の新居まできて友人司祭の預かり本を玄関に積む。その後、東大路にて某通信社の友人とカツカレーを食べる予定である。高知くんにも世話になった。思わぬ機会から得た同居人であったが、感性と目線はおもしろく、また一緒にいて楽な友人である。院生氏も、初めて会った日以来、あぁ、本当に優秀な学生さんだなと思っていたが、良い友人となった。ぜひドイツでも叫びながら暮らして頂きたい。

 原付で、いつもの裏門をくぐり学内へ。再び医学部生氏に会い、博士の自転車を預かって別れた。自転車に乗り換えて、知ってはいるが、これから僕の生活環境となる道を漕ぎ出すと、先の寂寥は秋雨の晴れ間に消えて、昼食のカツカレーの味が決着をつけた。おいしかった。

 食後、老舗のジャズ喫茶へと行き3時頃までバカな話をして笑い出発。16時10分頃、JR京都駅に到着。ことば少なに院生氏の背中を見送った。最後、小さくなった彼が車に向って手を振っていたが、僕がフロントガラス越しに手を振ったことに彼は気付いたのだろうか。

 5時前、高知くんと高速に乗り出発。あまりに疲れていたので少し眠らせてもらった。20時、実家到着。両親、弟夫妻と高知くんで高めの回転寿司を食べた。カワハギがなかったのが残念。炙りカマス、牡蠣の寿司は旨いと思った。食後、21時半、高知くんと惜別。京都生活の第一期終了である。

 2年半前、沖縄と東京を経由して京都に流れついた。そこには目的も自覚もなく、都市の引力に寄せられて空缶が用水路にたまるように漂着した。結果、楽しくかけがえのない時間となった。在米時のノート類、いなくなる同居人たち、過ぎ去った20代と30代過半。何もかもが過ぎ去っていくが、それでも少しだけ残るものがあったので、今度はあの街で僕の斥力が試される。明日、祖父の顔みたら、また京都に戻る。まず本に埋もれた部屋の片づけからだろうか。二年半前にみた実家の景色は変わらず、状況もよく似ているが心地いい。

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