どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:一夜明けて、20年前の記憶、沖縄ライカム

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7月22日 土曜日 快晴

 過酷な夜が明けた。暑くて眠れず500mlペットを体に当てて無理やりに寝たが、かなり寝不足である。蝉の大合唱で起きた。野外用BBQにて作成されたパンケーキを食べて朝食。うまい。その後、皆はビーチで遊ぶというが、僕はとりあえず休憩ということで、昼前までクーラーのきいた車の中で休憩。外は暑い。この状態で海で泳ぐのは少々無謀というものだろう。

 昼過ぎ、木陰もなくなり暑くなってきたので、最後にもう一度、珊瑚をみておこうと意を決して着替えて浜へ。その前に展望台があるというので、上ってみた。ミーンミン、じりじり、ざっざっ。自分の影が背中に感じるの熱の代わりに涼しく感じる。展望台というだけあって360度周囲を見渡せる美しい場所だった。

 砂浜まで降りて再度水中メガネでのぞくと、昨日よりは透明度の高い熱帯の海と珊瑚が迎えてくれた。引き潮ということもあり容易に近づくことができた。きれいだ。瑠璃スズメを手で追いかけることができるほどに近いところまで堪能できたので、海から上がった。

 水シャワーし着て入ったTシャツなども水ですすいで終了。中国人かと思っていたが厳つい外国人から声をかけられた。英語話せるか?どこから来た?となぜか憤慨したような声調で言われ、日本人だ、京都からきたと返した。インドネシアのバリ島から来たという。バリ島からわざわざ渡嘉敷島に来る理由があるのか。あっちのほうが世界的に有名なラグーンリゾートじゃないのか。答えたら納得したようで、インドネシア人は笑顔で去っていった。謎である。

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 4時出港で、それまでに時間はあるが、結局、昼を食べたのちは休むことになった。皆、疲れている。アメリカ人一家もタヒチ人父娘もよく灼けている。僕はひたすら塗りたくったが、それでも日焼けした感じはある。

 キャンプ場では荷物を入れるだけでテントは放置して帰ってよいとのことなので、車でつけて撤収。その足で、細君の提案で再度もう一つのビーチへといった。陽光というには厳しすぎる真昼の日射しの中、みえる渡嘉志久ビーチをみて思い出した。あぁ、ここだ。20年前にここに来た。思い出した。

 いまさらという話でもあるので開陳すれば、若き悩める少年であった僕は「魚のエサになろう」という気持ちで沖縄を訪れた。たしか、これが初めての訪問だったように思う。どういう具合だったか、両親などにきけば分かるかもしれないが、思い出せない。

 そしてキレイなホテルに泊まった。オフシーズンであり、宿泊者は僕一人。体験ダイビングを浅瀬でして、海の藍と空の蒼が白く透明な輪郭の泡に照らされながら重なる瞬間を水底から見上げ、沈む夕陽と冷たい砂浜の感触を感じて夜空と目があった。

 一泊だけだったか二泊したのか覚えていない。しかし、ある朝は曇り空だった。そして、その朝、十数年ぶりに慶良間諸島の内海にクジラの親子が出た。客は僕一人しかおらず、ダイビングショップの人に言われるまま誘われてボートに乗った。教室の前と後ろくらいの距離だったか、クジラがいた。ひどく興奮したことを覚えている。

 帰り道、港へ向かうバスに乗りながら、あぁ帰りたくないと泣きたくなったことを覚えている。今になればわかる。あの瞬間、僕は沖縄に恋をした。南風の島に恋に落ちたのだ。 

 あのとき記憶違いでなければこのホテルが僕が泊ったものに違いないと、思わずフロントに尋ねてみた。フロントは元々あった民宿のあとに増築したもので、続いている古い部分が当時から使っているものだという。ちょっと廊下を歩いてみたが、あぁ、そうだ、ここだ。覚えている。本当に驚いた。

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 沖縄そばとポークおにぎりを食べたのち、僅かな時間でホテルとビーチをみた。樹の形、ビーチへ続く道に 20年前の驚きと感動が鮮やかによみがえる。ぼやけていた画像が精細になるように処理されて、くっきりとはっきりと記憶に色が差す。

 友人の運転で港へ向かう。助手席からみえる浜のかたち、巨大な入道雲、20年前にタイムスリップしたかのような感覚に襲われる。そうだ、僕はあのとき、ここにいた。

 港につきみやげものをみて、クジラのステッカーに見覚えがあった。あぁ、これ記念で買ったよなぁ。懐かしい。

 出港の時間となる。フェリーを見送るエイサー踊りが始まる。20年前も手を振ってくれたダイビングショップの人たちがいたよなぁ。あのときのおじさんたちとお姉さんはいまは本当におじさんとおばさんになってるだろう。写真とかどこに行ったんだろうか。疲れ果てているので、出港後、よく聞いたクーラーの中で寝てしまった。

 気がつくともうすぐ入港という。船体が小刻みに揺れている。着岸。あっけなく20年前から戻ってしまった。20世紀から21世紀へ。コインパーキングに戻る。会計は2400円。解散して高速へと向かう。観光用モールとしてイオンが肝入りで開発した沖縄ライカムによりたいと僕がいうと、彼らも子供の友人の誕生日プレゼントを買う必要があるらしい。ということで立ち寄った。

 僕は目当てのけもフレグッズを探しにいったが、残念ながら売り切れ。夏はいつも控えめなアロハを着ているので、かりゆしを一着かった。しかし、水槽がありそれなりに大きなサイズのモールである。売り場面積としては十指に入りもしないのだろうが、2Fを抜いて2,400席超を確保したフードコートは国内最大のものらしい。すごい。

 いわゆる東南アジアの巨大モールを真似たのだろうか。地元の人間だけではなくて観光客を視野にいれた一体型の商売。これは沖縄だからできることであり、同時に沖縄の東南アジア化というか、そういう傾向をも示すものなのだろうか。興味深い。

 フードコートでタコスを食べて夕食として、未来屋書店という大きな本屋で、好きな作家が沖縄について新しく本を出していることを見つけてしまったので、そちらも購入。すっかり暗くなってしまったが、無事に車で戻った。

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