どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:塔の話、コーヒー、読了(長文注意)

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10月5日 木曜日 晴れ

 大家さんが契約書をなくしたとかで電話&呼び鈴アタック。ちょっと勘弁してほしい。正直、呼び鈴はクロネコ、佐川、郵便局以外で鳴らされるのは殺意を覚える。しかたないので契約書をコピーして手渡し。無駄に時間を使った。勘弁してほしい。

「創世記」

11:1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

 気を取り直し、ブリューゲル「バベルの塔」へ。学生時代(いまも学生であるが...)淀屋橋でバイトしていた。中之島をゆっくり歩くことなどなかったので、新鮮である。このあたりは大阪本社が集まる区域でありビジネス街。明らかに歩いている人々がリーマンであり、女性は年齢に比べて若づくりをしている感じが東京に似ている。同調圧力も高いのだろう。

 普通に国立国際美術館に到着。平日の昼なので、人少ないだろうと思ったが、それでもそれなりの人出。みんな暇なんか。ちょっと驚いた。アウグスティヌスの彫像など、キリスト教関連のものは興味深かった。

 件の有名な「バベルの塔」の絵の前には行列。最前列で観るには並ばねばならないらしい。正直、そこまでしてもなと思ったので、肩越しに、じーっとみて観了。ヒエロニムス・ボスにしてもそうだが、人類史・文明史500年の再評価の時期なんだなと思った。

 さてこの「バベルの塔」(1565 年頃、ブリュッセル時代)の見方についてだが、中々おもしろい。描いたピーテル・ブリューゲル(Pieter. 1525-1569)は今でいうオランダ地方の人文主義者であり画家であった。農民生活に通暁した知識人である。

 よくある見方としては「バベルの塔」が少し傾いているので、聖書の「砂の上に建てられた家」の譬話にかけて、当時のカトリック教会を批判しているというものがある。また人間が制御できない技術の象徴としての高い塔、その結果としての人災含みの自然災害の例えにもよくなる。

「マタイの福音書」

 そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。(マタイ 7.24-27)

 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。(マタイ 16.18-19)

 時は宗教改革時代、カトリック批判というのは、さもありなん話である。しかし、そもそもそういう人は当時膨大にいた。中世の終焉には、誰もが人間の罪責性を自覚したのだ。

 ところでウンベルト・エーコはアダムが神と何語で話したのかを考えた。いわゆるエデンの言語、完全言語の探究である。言語の問題から「バベルの塔」を考えてみると、興味深い。創世記では、神による世界創造、人類の創造と堕落、その子孫たちの話が展開されている。ノアの洪水後、人類はセム・ハム・ヤペテの末裔として繁栄した。セム系からは、アブラハムが出て、彼がいわゆる一神教の祖となる。本文に語らしめると、こうなっている。

10:1 ノアの息子、セム、ハム、ヤフェトの系図は次のとおりである。洪水の後、彼らに息子が生まれた。2 ヤフェトの子孫はゴメル、マゴグ、メディア(中略)5 海沿いの国々は、彼らから出て、それぞれの地に、その言語、氏族、民族に従って住むようになった。
6 ハムの子孫は、クシュ、エジプト、プト、カナンであった。(中略)8 クシュにはまた、ニムロドが生まれた。ニムロドは地上で最初の勇士となった。9 彼は、主の御前に勇敢な狩人であり、「主の御前に勇敢な狩人ニムロドのようだ」という言い方がある。10 彼の王国の主な町は、バベル、ウルク、アッカドであり、それらはすべてシンアルの地にあった。11 彼はその地方からアッシリアに進み、ニネベ、レホボト・イル、カラ、12 レセンを建てた。レセンはニネベとカラとの間にある、非常に大きな町であった。(中略)
19 カナン人の領土は、シドンから南下してゲラルを経てガザまでを含み、更に、ソドム、ゴモラ、アドマ、ツェボイムを経てラシャまでを含んだ。20 これらが、氏族、言語、地域、民族ごとにまとめたハムの子孫である。

 11:1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。

 赤線のところをご覧になれば明らかなように、10章では言語で別れて住んでいたにも関わらず、11章バベルの直前では「同じ言葉を使って」いるという。どういうことだろうか。別に聖書が矛盾している云々という知能のない阿呆な話をしたいわけではない。

 一見矛盾する二つの記述を貫く著者の視点、内在的な論理は何か、どう説明が可能なのか、ということが問題になる。では何なのか。僕が前々から思っていたのは、方言と標準語のような違いだったが、指導教官より聞いた話では、この矛盾の間に「帝国」を挟めばいいらしい。なるほど。

 すなわち「帝国」というのは、統治のために文化≒言語を画一化したがるものなのだ。帝国の論理による統一、一元化の原理が働いていることを、10章と11章の間にみるという話である。言い換えれば、自然に発生した言語の違いとは別に、人為的な統一をもくろむ言語の問題である。余談ながら、これは、歴史的・通時的な言語学が前提していた「自由な人間主体」と構造主義的・共時的な言語学のいう「規定された主体」の問題である。平たくいえば、サルトルとレヴィ・ストロースの違いとなる。

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  そして、レヴィ・ストロースの神話論にならえば、神話というのは人間が抗うことのできない二項対立の問題、生死、男女、自然と文化などの葛藤を次第に解決した結果生れたものであるという。彼は、聖書の深層構造にこれらの対立とその解決をみて、それを救済史として見なした。旧約のバベルという言語の混乱から、新約のペンテコステ(一と多の豊饒な均衡)へとつながる人類文明史のダイナミズムを読んだと言える。

 つまり「バベルの塔」という言語の問題に込められた神話の意味は、一元化する帝国の原理に対して、対抗する論理の存在である。大胆にいえば、神は帝国から人を救い出す、言葉と文化を取り戻す側に神がいるという話になる。ハム系はニムロドのバベル、ウルク、アッカド、ニネベという都市文明が続き、それらはソドムとゴモラ、カナンを支配するアッシリア帝国へとつながる系譜となる。都市文明のハム系と周縁で流浪するセム系、その権力構造と言語の相克問題が「バベルの塔」という神話性を帯びた歴史的記述に結実している。

 ではなぜ神は「バベルの塔」建設を止めたのか。それは、まさしくそこに「帝国の原理」という人間疎外の問題が含まれていたからである。たとえば原発問題は、人間が制御できない技術の問題として引用されがちであるが、そう引用するならば、人間が持つ言語の問題(天災は人災を含む事実)を踏まえねばならない。天災が起きるとき、そこには人間疎外としての相互不和が含まれている。その相互不和こそ、帝国の問題性と言えよう。

 原発に引きつけていえば、なぜ原発が必要だったのか、なぜ原発が今の配置になっているのか、という問題を洗いざらいにしなくてはならない。それが、自然に別れた言語の問題を回復していく一つの視点である。一応いっておくと、僕は原発は必要なら使うしかないと思っている。生活を改めるつもりはない。ただ、問題を整理するのにはやぶさかでないのだ。

 観終わって外に出て、SF作家テッド・チャンの短編「バビロンの塔」をまた読もうと思った。ぼんやりと上記のようなことを考えながら、結局ブリューゲルはこの絵に何を込めたのだろうと思った。中之島から淀屋橋へ歩く。朝も食べていないのでラーメン屋へ。僕以外の客はオッサン二人。何か元部下?の女性に電話かけて、後継(支店長?)やらんかと声かけてる。既に何人も断られてるらしい。楽な仕事らしいが怪しい仕事だから断られるのでは?そして、何なら、仕事ほしいから僕が立候補しては駄目だろうか。

 食後、せっかく大阪まで出てきたので、贔屓の喫茶店へ。途中、なんばで約七年働いたメモリくんを200円で引き取ってもらった。誰かに上げようにも古くて使えないらしいし、まあ部品屋で何かに使われるほうが良いだろう。200円をどう使うか考えたが、通りがかりにみたガチャを回したら、ポプテピ出現。ちょうどメモリとグラボ換装の助言をポプテピ関係者より頂いたので、良い記念になった。かくしてメモリくんは200円という価値に変換され、その価値は可能性となり、ポプテピ・缶バッヂへと変貌した。グッド・メモリー・オブ・メモリ(白目)

 御屋敷に御帰宅。思いつきであるが、記念に買ったヒエロニムス・ボスのカップに珈琲を淹れてもらった。幸せである。珈琲2杯でぴったりになった。なんと御屋敷の珈琲に合わせて作られたグッズだったのか。

 その後、ひたすらUFO事件クロニクルを読み、読了。なんとか書評に回したいが媒体的に厳しいかもしれない。しかし、書くだけ書いてみたい。

 11時過ぎ、帰宅。ブリューゲルを見れたし、本も読めたし、ついでに短評をひとつ書いたので、良い一日だった。

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