本日2/22は猫の日ということで、歌川広重が描いた猫の浮世絵をご紹介。夕暮れがせまる中、花魁の部屋の窓際にたたずむ白猫。目の前に広がる浅草の田んぼを、何を思って眺めているのでしょうか。4/1より太田記念美術館で開催の「広重 名所江戸百景」展で展示します。https://t.co/6APCyL0zXr #猫の日 pic.twitter.com/iJjrmoaSQ9
— 太田記念美術館 (@ukiyoeota) 2018年2月22日
2月22日 木曜日 晴れ
本日も休みなので、どうしようかと思って、結局外出。贔屓の喫茶店にて、買ったまま途中でやめていた本を読んだ。宇田川敬介『震災後の不思議な話 三陸の怪談』(飛鳥新社、2016年)である。東北の大震災以後の現地での聞き取りを中心にした内容であり、なかなか興味深く、かつ蒐集の視点が良かった。厳密な意味では牽強付会なところが目につくが、それ以上に、本書を記すにいたった著者の思いに打たれるところがあった。読んで良かった。
以下は本書より狐憑きの割と古い言及の引用。そうなんだ。知らなかった。
物託(ものつき)の女に物託て云く、己は狐也、祟を成しに来れるに非ず。只、此る所には自ら食物散ろふ物ぞかしと思て、指臨(さしのぞ)き侍るを、此く被召籠て侍る也
『今昔物語』本朝附霊鬼部巻二十七第四十
全くどうでも良いが、最近、急激に顔の好悪が分かるようになった。目から情報を読みとることは30代前半まで出来なかったのだが、風貌と顔に人格が現れるということが最近になって分かるようになった。
たとえば、知性、教養、批判精神の欠片もなく、傲岸さとその裏返しの承認欲求のみがにじむ顔をした人物の顔というのはあるのだ。作家である畏友の表現を借りれば「アムウェイの中上位にいそうな顔」であり、Amazonの書評を複数アカウントで自画自賛するようなタイプというか。こういうものは見ないに限るので、ネット社会ではそっ閉じ案件である。
読書もして楽しく過ごしたので帰ろうとしたら、帰り道、駅構内で、隣の酔っ払いにストロングゼロをこぼされた。殺意を抱く以外の感想がないが、あまりにひどかったので駅員に呼んだ。さすがに反省したのか、相手は平謝りである。なんというか、帰宅ラッシュの中でビール片手に泥酔して零すというのは信じられないが、まあ関わりたくないタイプの人である。
夜、隣室D3氏のネット放送を視聴、楽しい時間であった。