どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:安息年、仕事日、事前復興

3月11日 日曜日 晴れ

 朝、何を間違ったか早起きしてしまい、しかし間に合うので聖公会の英語礼拝へ。聖務日課のレギオンの話が微妙に印象的であり、その解釈はなるほど、と思った。自己の内なる多声性である。あと、おそらくどこかの一家が引っ越すのだろう。感謝を申し述べる場面があった。

 会後の珈琲に誘われたが、珈琲は飲みたいけれど、教会の人たちと話したいことも何一つなく、かつ聞きたいことも何一つない。迷ったがやめた。想定されるプロトコルを把握してしまうと、もはや手をつけようとも思えなくなる。良いのか悪いか分からない。帰宅途中にマクドに立ち寄って、久しぶりの朝マクドを買い、戻ってから珈琲を入れて食べながらネット。

 身支度を整えたので出発。本日、仕事日である。流し見たニュースにあった技研の開発した弱いロボットについて考えて、日本の「可愛い」文化の根底にあるのは、弱さや優しさへの開き直りのようなものだと思った。欧州だと即時スクラップにされそう。文化的抑圧の結果としてサディスト多いんじゃねと偏見を述べたくなる。重犯罪者を射殺するのに、死刑反対みたいな阿呆の多い欧州性にも通底することだろう、知らんけど。

 行きしな棟田博『陸軍よもやま話』を読んだ。いまや非日常の昔話であるが非常におもしろい。コンドームを鉄兜と呼び、出生前に岡山で佇む話など、エモくてたまらない。知らなかったが、どうやら岡山出身の方らしい。同郷の士というわけである。

 買いやすいようにという顧慮から、自動販器になっていた。酒保の裏庭の藤棚の下に据えつけられていて、金十銭なりを入れてガチャンと把手を押すと、鉄兜が二個出てくる仕掛けだった。…「大元帥陛下の赤子たる兵が不名誉な負傷を受けないようとの連サン(連隊長)の大御心より出たものである」

 明日、出征という日に…駅のエストランでコーヒーを飲んでから、なんとなく街を歩き、書店に立ち寄って新刊書などを見た。『禅』に関する本がブームを呼んでいる時代であった。禅に興味がなくはなかったが、明日、戦場へ送り出されようというぼくにとって、いまさら禅でもなかった。

 喫茶店に座り、作業を進めようとしたら、東京より戻ってきたアニメ化作家氏と会ったので、同席。作業は進まなかったが会えてよかった。その後、迷ったが、前から気になっていた角煮丼を食べてみた。まあ、うん、角煮食べれたから良かったかな。味が云々というわけではなく、老夫妻が開店したこの店舗がいつまで持つのだろうか、と考える。お世辞にも満員御礼な印象ではない。子どもの頃に、たぶん足摺岬へいったときに感じたことだが、ある商売が売れずに閉店してしまうような危機を思うと泣きたくなる。瀬戸大橋開通のときだったかも知れない。遠い記憶のあの景色はどこだったのだろう。その物語の続きは。

 あの頃に買ってもらったオウムガイの貝殻は割れてしまって、実家のどこかに今でもあるのだろうが、存外、消えない記憶はあるものだ。そして、その記憶の意味は熟成し深まっていくのかもしれない。そんなことを考えながら、宿直仕事に備えて角煮丼で腹を満たした。

 地下鉄にて、ネットと乗客を眺めていると、いよいよ老人たちばかりになっているのだなと思った。ぼくもいつかノスタルジーにしか居場所のない老人になるのだろう。

 職場ではテレビがつけっぱなしであり、ひたすらに震災関連番組が流れている。テレビのとくに報道関連を見下すようになって久しいが、久しぶりにTV番組を見直した。徳島大学の研究「事前復興」の紹介である。地形に基づいて津波被害の規模はシミュレーションできるはずで、それを元に被災後の都市計画を全自治体と主幹産業で共有し、緊急時の指揮系統を明確にしておくというのは存外に意味ありそう。こういうことのために広く研究運営費、人件費をつのるところに、広告代理店やメディアの仕事の本懐があるのだ。さらに政府には科研費をゼロ2桁増額してもらいたいものである。列島をデジタルに更新するところに、何かの希望があるやもしれぬ。

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