どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:眠気、矜持390円、編集者

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3月12日 月曜日 晴れ

 昨日より宿直バイトにて新しいことを覚えるのだが、その内容が深夜の見回りならぬパンツ確認である。特段難しいことではない。他人様のシモの世話も、やがては誰もが通る道、大したことではない。忌避感はない。が、眠れなかった。排泄の有無を11時半、3時、6時くらいに確認するのだが、いびきがうるさく眠れない。しかも、うとうとしかけた頃に確認の時間となるので、再び起きては一時間ほど入睡できずとなった。結局、ほぼ一睡もできないまま朝となった。

 考えてみれば、ぼくは電気は真っ暗にして寝るし、音があると、わりに起きてしまうたちなのだ。そうなると、この仕事をするには、もう夜は最初から徹夜のつもりで行くほうが良いかもしれない。参ったなぁ…。

 上司にその旨を伝え、曜日やシフトのことも鑑みて解決を模索。ひとつ良い話になりそうなのが、土曜夜に入れば、日曜朝の教会出席を近所で片付けられそうということである。ぼくが土曜夜にシフトを入れたくない理由は、いちおキリスト教徒なので礼拝に出席したいという慣習の問題なのだが、日曜11時まで働くと、それも叶わない。仕方ないので時給を削り、また同僚の方の御厚意に甘えて、10時上がりとなっている。

 しかし、それをやってしまうと還暦前後の同僚に恒常的に迷惑をかけてしまうので、どうしたものかと考えていた。そこで、ぼくが提案したのは、ちょうど手隙の時間帯である9時から10時前後、徒歩5分圏内の教会への出席を認めてもらい、人手の要る10時から11時に再び戻って働くというものである。これを話すと法人長の許可を得るということで上司が話してくださり、勤務表上は10時まで、しかし、実際は8時55分から10時前くらいまでは不在で、10時から11時過ぎまでは再び働くということで解決できそうである。こうなると、急いでバスに飛び乗り、わざわざ梅田の教会まで急ぐ必要がなくなるので非常に助かる。こちらのモチベーションも上がろうものである。ということで、問題は一つ解決しつつ、次回の睡眠不足をどうするか考える。良い職場である。

 バスに乗り、かなり眠いのだが、せっかく出てきているのだしと迷った。結局、昨晩ネットで集めたアンケ9票の過半数を獲得した「休んでから、いつもの喫茶店で書き仕事をする」ことにした。あとから考えれば戻っていても良かったのだが、それはそれとして。

 夜勤明け、外国人でごった返すナンバ花月前。地元のオッサンしか来ない店で親子丼&うどん390円を食す昼食。ふかふかの卵に七味をかけると彩も鮮やかに、観光客が見向きもしない日本の味わいが、疲れた身体の奥を流れていく。無愛想な客と注文をさばく店員たち、ただ垂れ流される天上から吊られているテレビのニュース。人々の営みである。食後、迷ったが、気になっていた鯛焼きを食べることにした。熱々の鯛焼きを頬ばると眠気が少しマシになる。まだだ、まだ終わらんよ、と一人ごちた。

 ネカフェにて鯛焼きを齧って寝落ち。ふと目が覚めると「0分前」に着信あり。Amazonで買った本立てが届いたか、でもクロネコなら玄関前に置きっぽしてくれるのにと思ってかけ直したら、まさかの某社編集氏であった。

 「ん、え、あ、京都にいるんですか?」「ええ、ちょっと別の仕事で来ていまして、いつ終わるか分からなかったんで急な連絡になって申し訳ないんですが、いまはどちらに?」「あ、えっとネカフェで寝てます、喫茶店あくの三時なんで」「え、なんでネカフェで寝てるんですか?(ついにホームレスになられたか、R.I.P.」ということで、新大阪で落ち合うことになった。

 関西に住んでいると、新大阪=京都の移動のためだけに新幹線に乗ることは、ちょっとあり得ない。倍額払って半分の時間で着くくらいの感じだが、待ち時間などを含むと大差ないのである。地下鉄に乗るころに編集氏より再び着信。「新幹線のったので着きました」マジかよ、ワロタ。人間、会社の経費となれば大胆に使えるものである。思ったより早く着いたな、ちょいと待たせてしまう...、ということで、急ぎようもないが、地下鉄内で久しぶりにちょっと緊張した。

 なぜ緊張したかといえば、いまから会う編集者には借りがある。帰国してほどなく、初めて同人誌をつくった。ちょっとしたイベントに出るので、そういうイベントには同人誌をつくっていくものだと思っていたからだ。で、それが二百部刷って完売した。その同人誌を面白がってくれた某社記者が後輩である、いま新大阪にて待つ編集氏に送った。

 その後、わざわざ京都まで出てきてくれて接待を受けた。本を送ってもらったり、ぜひ書いてほしい、と言ってくれた。当時のぼくにとっては身に余る光栄と評価であった。しかし、当時備えていたOSへの読んだ本のシンプルな出入力でしかない僕には何も書くことがなかった。声をかけてもらったことで降って湧いた希望や期待だけが浮ついて、結局、何一つ「かたちになるもの」がなかった。

 今でもそう思うが、オリジナルとして書かれ、読まれるべき本というのは、基本3つくらいしかない。一つは、博士論文など卓越した研究成果である。これは人類への貢献として世に残さねばならない。または、他の誰にとっても意味のある未踏の領域や経験を知らしめる内容である。これには思想、哲学、旅行記など多岐にわたるものが含まれる。加えて、あらゆる創作、すなわち作品である。これは人類の想像力という、人類の基本形式に沿うものであり、その価値は計り知れない。これら以外のものは、多くの場合、二次創作やハウツーであって、オリジナルの名に値しない。従って、ぼくがオリジナルとして書けるものは何もない、と思っていた。

 それは、自画像の問題でもあった。今では隣の芝生が青いだけと分かっているが、僕は本当は地方の電力会社などインフラ系の二次下請けや子会社で単純作業をするほうが合っている。しかし、そうはならず、子どもの頃から興味のあった古代へ、そこから歴史へ、思想へと足を運び、結局、いま後期博士課程にいる。博士課程に進むというのは、他人とは違う、人類未踏の世界を目指すということだ。少なくとも、ある分野において、他の人が到達していなかった領域を見てくること、それだけがその価値となる。

 年明けから先月半ばあたりまで、かかりきりで書いた原稿を、ここぞとばかり編集氏に見せた。いわく「おもしろいですね、失礼な言い方ですが、超速進化を遂げられましたね、何か書きませんか」とのこと。それなりに自信のある原稿だったので、第一線で活躍する編集に認められるのはうれしい。

 ということで、期せずして旧交を温め、そして、思わぬ形で声をかけて下さったことに報いる道が開かれたのであった。物書きは結局書いたことだけでしか判断され得ない。この一年ほどであるが、僕自身、モノ書きとしての矜持が芽生えてきた。しかし、それは親子丼&うどんを390円食べれば満足できる程度のものである。字を書いて暮らしていけるとは思わない。だからこそ、風変わりな趣味として、何かを書くのだ。思えば、このブログも編集氏に言われて再開したのだ。

 震災、帰国から七年。安息日の向こう側、八日目の朝、新しい安息への道程が、あの頃には見えていなかったものが、たしかに見え始めている。

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