どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

研究、『アキラ』みた、ライスコロッケ

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6月13日 土曜日 くもり後雨

 9時半には起床。身支度して10時半から13時半まで、近所の喫茶店にてモーニング、朝飯600円+オレンジジュース追加をキメて、精読の続き。

 昨日に続いて、資料の第2部を約2時間半かけて精読。50年以上前の生物学を、アリストテレス合目的論的に解釈した内容で、昨日4時間かけた第1部(物理/地質/天文学)よりはまだマシだった…。キリの良いところまで読めたが、なかなか疲れた。

 帰宅後、教養と読書の関係について少し考える。「教養」とは、適切なタイミングで例話を引くセンスだと思う。だから、数式に強い、文法に明るい、自然科学について流暢であることは、必ずしも「教養」とはならない。固有名の羅列ではなくて、羅列から引っ張って来る勘の良さとでも言おうか。その引用を、自分の実存に絡めつつ、しかし距離を置きつつ、扱えること。そういう感性を教養と呼ぶのだろう。

 「教養」の顕著なあらわれの一つは「ある学問体系なり研究史をメタファとして他分野に適応する」という形があると思う。たとえば、教会史/キリスト教思想史における論争なり出来事なりを、仏教思想史に当てはめて理解するような場合である。

 「読書したい」と切に思う。とはいえ、この生活環境では、せいぜい週に1冊読めれば上々である。つまり、週に2~3回、2時間か3時間、活字に向き合う時間がとれたらかなり良い。その他は生活のために稼がねばならない。また、このように趣味の駄文をしたためたり、人に会ったりやら観たい映像やらがある。

 毎週1冊読めば一年で約50冊、10年で500冊だから、60才までに、あと千冊読めたら僥倖かな。千冊というと、積ん読状態のものを消化したら終わるような気もする。果たしてどうなるか。こういうことを思うを、可能なら、あと100年でいいので、潤沢な資金と頑強な身体がほしい。

 15時頃、友人とTOHOシネマズ二条にて『アキラ』を視聴。最高だった。こんな作品が20年、30年も前に存在していることに驚愕した。漫画もアニメも観た気がするが、忘れていた。しかし、素晴らしい。やる気が出てきた。

 晩飯をひさしぶりにカプリチョーザで食べて、ライスコロッケを食した。大好物である。

 帰宅後、映像をみて休憩。今晩、もう一作業と思っていたが、映画の熱量にやられて頭を切り替えられなかった。だらだらと起きて、3時半過ぎには寝落ち。

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