どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

宗教ぎらい、臨床~師哀歌、友人らに会った

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8月8日 土曜日 くもり

 4時半にねて10時半には起床。寝不足である。昨晩のうちに提出した原稿が更新されていたので、慌てて、微修正。だらだらネットを見ていると、いつから日本人は宗教嫌いとなったのか、という話題をみかけた。

 流れとしては、だいたい「オウム真理教」以降、宗教組織=ヤバいになって、よりお手軽無害なパワースポットやスピリチュアルが流行し、3.11震災以後、臨床宗教師などで、再び既成宗教の活躍が目立ち、社会的信頼を取り戻した。この流れにそって「宗教学」への評価も浮き沈みしている。某S田先生などを見ていれば分かるかと思う。

 「臨床宗教師」については、岡部医師とベッカー先生の対話が大変よい。以下で紹介されている。

http://kokoro.kyoto-u.ac.jp/bungei_12/

 現在は「臨床仏教師」などナメた話になっている。岡部先生も浮かばれまい。当初、臨床宗教師は日本ならではの「超宗教」チャプレンを志し、新興宗教もイスラムもいた。にもかかわらず、開始後3年またず「仏教」が大多数を占めるようになり、さらに派閥争いになり、いまは「臨床仏教師」講座まで作り、当初の活動も理念も挫折してしまっている。超宗教という公共性を担保することが、臨床宗教師の意味だったわけで、単なる仏教的なホスピスを目指すなら、僧侶のままでいい。むしろ教学と実践を徹底して修業しなおしてくるべきだろう。クソ坊主どもにはいい加減にしてもらいたい。

 一方で、僧侶でも「臨床心理士」の資格を持っている人々はいる。こちらは苦労多いのに報われない仕事を、なお誠実にこなす本物の宗教家である。有名どころでは、吉村昇洋氏だろうか。ぼくはとくに用事はないが、もし相談相手に選ぶなら、臨床仏教師()などではなく、臨床心理士の訓練をうけたまともな坊さんがオススメだろう。

 15時、ウガンダ君と近所で朝飯を食べようという話になり、タイ料理屋へいったが閉まっていた。結局、交差点向かいのカツ丼屋で、おろしカツ定食を食べた。その後は、少し歩いて珈琲。ウガンダに帰りたいらしい。おもしろい。

 その後、某社デスク氏とからふね屋で合流し、なんだかんだと雑談。楽しい時間を過ごして、ドラッグストアで石鹸やら洗体タオルやらデオドラント紙やらを買って、19時半には帰宅。超自然とデカダンスをみて、知人ラジオを聞きながら、2時半までには寝落ち。

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