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モーニング、研究室の、概念史

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10月17日 土曜日 晴れのちくもり

 9時半には起床。ひさしぶりに土日を京都で過ごすのでモーニングでも行きたいと思い、道路を挟んだ寮に住む同僚氏など、研究室仲間に声をかけたが案の定寝ていた。

 遠藤周作論で入ってきた優秀な後輩が来るというので、カフェコレにて食べてみたかったチーズトーストを注文。美味しい。

 近況を話しつつ、「啓示」と「聖書」は概念として曖昧でありそもそも別物だ、という話になった。たしかに、それらが融合分離しながら現代にいたる史観の必要はある。

 ヘブライ語における啓示は「出来事と言葉」であるが、より適切にいえば「ことば」は「出来事」それ自体といえる。

 一方、20世紀アメリカの主流派神学が、啓示と聖書を完全に切り離すことを前提としている。他方で、サブカルチャーとしての「ファンダメンタリズム≒福音派」は、それらを同一視した。

 つまり、この「啓示」と「聖書」は、その器としての「歴史」「信仰」「理性」「身体」への配分を時々に変えながら、その概念幅を収縮拡大させてきた。

 少々遠回りの話になるが、この見立てに沿って、改めて「多様な聖書的伝統としてのキリスト教」、つまり聖書と聖伝はどう見えるのか。聖書と聖伝の違いは何か。

 聖書はやはりヘブライ語とギリシア語でなくてはならない。しかし、聖伝は、翻訳分岐していくものである。この点、ユダヤ教とイスラム教は、ヘブライ語とアラビア語の固有性を徹底的に守る宗教だったと言えるし、間に挟まるキリスト教はむしろ積極的に自らを「聖伝化」する宗教だったと言えるかもしれない。

 つまりキリスト教における「啓示と聖書」の問題は、この聖伝化抜きにしては実は語れないのではないか。

 聖伝化というとき、聖伝と化していく外縁が存在している。言うまでもなく、日本語はその一部だろう。「啓示と聖書」という問題系の震源地から、どうしても日本語は距離がある。

 もちろん、そもそも柳田國男「方言周圏論」的な見立てによって、グラウンドゼロと自らの立ち位置を発見すること自体に問題があることは言うまでもない。事実、ぼくはそれを問題にしたいと思っている。

 タナッハの内的構造「律法・預言者・諸書」の含蓄に従っていえば、おそらくキリスト教が持つ構造は「聖書・聖伝・その外縁」である。この相似を見出すことに、あまり意味はないと思うが、何かを伝えていないかと考えてしまう。

 何れにせよ、日本語は「啓示と聖書」の震源地から遠い。いいかえれば、「啓示と聖書」はどこまでも地中海世界の固有性と土着性から立ち上る普遍性であって、ぼくらには手が届かない。

 日本語は「啓示と聖書」には無関係なのか。どうすれば、精緻で厳密な学術的遡及以外の方法で、ぼくらは「啓示と聖書」に辿りつけるのか。

 日本語で「啓示と聖書」を考えようとするとき、おそらく、それは人類学的な基礎に基づかなくてはならない。きっと「啓示」は、人類に備わった普遍的な機能のひとつなのだろう。とはいえ、東洋では内在的で汎神論的になっていく、という安直な話ではない。また宗教現象学などのような学術的処置を必要とする方法論も、すでに述べたように選択肢にはない。

 では「啓示と聖書」を、どうすれば、日本語において発掘できるのか。

 そんな話をして後、研究室に立ち寄り、よく会う別の優秀な後輩氏の顔をみて、バスにのって帰宅。ちょっと曇っている。

 ネットをみながら一人親方氏の語より「気息奄奄(きそくえんえん)」という文字列を知った。

 19時から21時半にかけて、今度は同僚氏に、からふね屋であって、似たような話をし、博論の進捗、非常勤講師などについて伺った。どこもかしこもコロナで大変である。

 21時半には帰宅。netflixみて0時過ぎには寝落ち。

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