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「歴史」、春めく、確定申告作業

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3月25日 木曜日 晴れ

 11時過ぎに起床。日本人と「歴史」の関係は、わりと致命的だと思った。歴史を語るには調査が必要で(ギリシア語の語源が示すとおり)、調査には人格が必要である。しかし「人格」は明治期に独英から入れた翻訳/造語であって、つまり人格=西洋近代的自我なのだ。昨今「グローバル」と受容されているが、覇権主義に過ぎない。いわば文化「帝国主義」である。一個の身体に、ひとつの声と顔と名前、出生証明と死亡届によって人間を産業化する仕組み、それが「近代」なのだ。
 重要なのは「西洋近代」の前提になる、個人、民主主義、キリスト教「的」倫理は、基本ヨーロッパの「地域性」に過ぎず、五百年の世俗化、千年のキリスト教中世、さらに千年のギリシア・ローマという地中海沿岸部のローカルな名産品としての「普遍性」に過ぎないのだ。

 ところが「近代・日本」は、まさに、この名産品を輸入して内面化しようとして失敗したところに、または克己したところに成立してしまった。こんな奇妙な形で「歴史」に組み込まれ、飲み込まれてしまったのが「近代日本」である。

 日本人とは「遅れた近代化とキリスト教宣教」を被り、最初に挫折した非ヨーロッパ圏の哀しみの名前なのだ。この歪さに加えて「戦後」50年という去勢を食らい、さらに「平成」という30年超の経済喪失が、いま「この国のかたち」を作っている。

 たとえば米露中だと、こういう内圧には外敵を作り、兵器と肉体で物理で強くなる選択をするのだろう。しかし日本は、まさしく「歴史」ゆえに、そういう選択はできない。

 結果として、戦闘外殻を持つ兵器と柔らかい肌の象徴としての少女が、おたく想像力の焦点となり、いわゆる「戦闘美少女(魔法少女からエヴァの綾波まで諸々)」が生まれた。「おたく想像力」でさえ、非ピューリタン文化圏のエロ・グロ・ナンセンスとして受容され、もはや「現代」日本は、ネオリベの走狗に食い散らかされ、瀕死のゾンビである。

 ふと、こんなことを思っていたら、米ソ冷戦時代の互いの「宗教」観はどうだったか、を知りたいと思った。1冊、その類を持っている。夕方までに発送。

 その後、近場でカレーを食べて、レシートの分類作業。時間が空けば映画でも行こうかと思っていたが、とてもではないが全く余裕ないのでウガンダ君に応援を頼み、レシートの配列をやってもらい、僕が糊付けを行った。

 4時半までかかり、なんとか11月末までを完了。疲れた。

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