どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:南蛮そば、表現者、仕事

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2月14日 水曜日 晴れ

 昼前に起きて深夜まで作業、明け方に寝るという生活習慣になってしまい、本日もそれと違わない。本日までに翻訳作業を終えているつもりだが終わっていない。そして、今日は夕食を新大阪駅にて、とある禅僧氏と食べる約束をしている。その前に贔屓の喫茶店にでも立ち寄ろうかと思っていたので、雑務を片付けて三時に出発。 

 西谷啓治「日本における伝統的宗教意識」をほぼ読了。なるほど。日常において、我々が補足し把握する「もの」から把握される経験をして、その伝統的宗教意識として見なすというのは理解できた。

 ログインボーナスで来館者全員に配っているチョコをもらったのち、作家氏も誘い新大阪へ。御堂筋で人身事故があったと表示が出ていたが、普通に乗れた。誰も飲まないので、そのまま目についた蕎麦屋へ。焼き鳥やら何やらを頼み、鴨川河川敷に住んでるので鴨ネギそばを頼んだ。これが南蛮と呼ばれる理由はきっとポルトガル人と関係があるのだろうが、少し気になる。表現者として自覚を持って仕事をしている二人の話を聞きながら、表現したいという強い欲が自分の中にはないことを感じた。楽しい宴である。

 禅僧氏を改札へと見送って、地下鉄で再び戻り喫茶店へ行き、ゆっくりしてのち帰宅。帰宅後、翻訳仕事を無理やり片付けた。

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にっき:定義の問題、翻訳仕事、てぃんさぐぬ花

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2月13日 火曜日 晴れ

 今日も寒い。昼前に起きたが、二度寝をかましてしまった。昨晩買った割引パンを食べて朝食として、上司より戻ってきた原稿の修正と校正。今日中に翻訳をざっと終わらせてしまいたい。

 ネットを見ながら「世間一般」や「実社会」という価値を信じる人とは、ある一定の話をすることが難しいことを実感した。「ネットの常識は、世間一般や実社会では通用しない」という主張があることは理解できる。しかし「実社会」とは、世間一般の建前としてクリーンな「社会」ではなく「本人が実感している社会」のことだろう。それは「世間一般」と互換的に使用可能な語でありながら、さらに個人の実感に寄せられたものである。加えて「実社会」は、ネット経験とは区別される上位概念なのだ。

 ということは、「実社会=本人が実感する社会のイメージ>社会≒世間一般>ネットの世界」という彼の意味世界が現れる。「国際社会」という語を除けば、社会というのは、たぶん言語や文化の下位概念で、より小さな集団を意味するようにも思うが、実社会という主語で自分を表明するのは、何かすごくおもしろい。

 つまり自分は「世間一般に沿った社会人であり実社会を経験している」という意の主張は、実際のところ「私はこう考える」という表明でしかない上に、その「私」は、ネットが網羅する膨大な情報、地球上に存在する数多の文化・言語の社会よりも上位の概念として成立している。要するに複次的なメタ認知の問題なのだが、興味深い自己理解だと思った。

 昼はレトルトカレーを食べて、ブログを更新。中古で買ったスタートレックの小説が届いた。あと2冊は後日かな。粗訳の仕事をだらだらとやるも、思ったより大変である。キレイでまともな英語なので、その文体を日本語に直すのが難しい。夜中までやったが疲れたのでやめた。

 夜、土着の音楽ということで琉球讃美歌について考える。入手できない本も多いし音源も手に入らない。難しい問題である。琉球讃美歌といえば、以前沖縄の教会で聞いた音が思い出される。題名を知りたくて検索したが歌詞を聞きとれないので分からず、適当にそれらしい音を流していたら見つけた。どうやら「てぃんさぐぬ花」という歌の歌詞を変えたものらしい。なるほど。単なる思いつきであるが思想が土着化する際に、音楽を伴うとそれは身体化されるのではないかと思った。

 当時の日記にはこうある。

 『見るからに沖縄のおじさんめく人が前に立ち、三線を弾いた。バラけた手拍子が加わり、理解できない言葉で神への祈りが歌われる。欧米の歴史を汲む礼拝形式の中に、突如として現れた異空間である。しかし、これが、この人々の地の姿なのだ。そして、その本来の姿から地響きのように湧き上がってくる神へのことば、祈り、歌。久しぶりに鳥肌が立った。』

 あと記憶違いでなければ、この日、この教会にぼくは四色ボールペンを忘れてきてしまったはずである。ところで夕食はスーパーで寿司を買ってたらふく食べた。うまかった。

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にっき:原稿、米SF、市民戦争みた

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2月12日 月曜日 晴れ

 10時半頃に起床。一応、原稿が残っているので、ひとつそれを片付けた。知人父上の訃報をきく。慰めを祈る。夕方はゆっくりし夜まで引きこもって、スーパーで寿司と天ぷら買ってたべた。うまい。

 思ったより早く終わったので、ゆっくりと映像をみることにした。刻刻、ポプテピピック続きみて、スタートレック最終回、オルタード・カーボン1話、シヴィル・ウォー/キャプテン・アメリカを視聴。

 アメリカのTVドラマ系SF作品の面白さは、宇宙船、宇宙人を人間ドラマと絡めて見れるところにある。通常、SF映画は、ド派手なアクションが求められるし、圧倒的な映像で魅せるものとならざるを得ない。しかし、ドラマで全十数話となると、別の余韻を残せるようになるというわけである。スタートレックなどの良さはそういうところにあると思う。

 あと脚本の作り方も米国SFドラマの特徴なのかもしれない。Netflixで始まった「オルタード・カーボン」も原作小説があるようだが、おそらく内容は変更されているのであろう。有名な小説「高い城の男」のドラマ版は最初の数話で原作を完全に消費したので、どうなるのかと思ったが、原作から引き出される可能性を敷衍進化させてシリーズとしていた。ぼくは途中で脱落したが、結末を聞いた分にはおもしろそうだった。

 マーベル作品は次回作の黒豹を見るためにも市民戦争をみねばと思い、視聴。二時間半というのは長いので、どうしても手が出なかったのだが、見てしまえば、あっという間である。楽しかった。ディズニーが関わっているという意味でも、アベンジャーズ・シリーズは現代アメリカの神話である。本作は、その意味で、アメリカの抱える如何ともし難さを描いていて良かった。

 明日は仕事して、明後日はゆっくりしたい。

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