どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

なんとか提出

2月11日 土曜日

 年明けからなんだかんだとバタバタと過ぎていった。在米時の友人、ロンやロブ、また世話になったK牧師とも連絡がついたりして、気がつくと2月も中旬である。なんとか日記を更新できる日常に帰りたいが、いかんせんアホみたいに忙しい。余暇がないわけではないが、心身の回復につとめていると日記を書くまでにいたらない。10年近く続けた習慣であるが、止めてしまうとすぐには戻らないものなのだ。当然ではあろうけど。

 そんなわけで、多忙の中、放置しっぱなしの博士論文の修正指示をなんとか提出した。じつは昨年の3月末に提出し、その後、6月に修正指示を受けて開いて以来、ついぞ年明けまで一度もファイルを開かなかった。博士論文レベルの研究の質を保つには、どうしても丸一日その他のことに煩わせられない状況が必要であり、それが難しかった。

 さらにこの1年半ほどやっている副業で相談窓口のような仕事は、それなりに盛況で、いつのまにか収入の柱になっている。もっとも個人事業主なので何が副業なのか分からない。

 すべては言い訳でしかない。しかし、とりあえず何とか提出にこぎつけた。前教授、現教授には、これでもかと迷惑をかけた。おそらく学科史上もっとも遅く提出した阿呆として覚えられることになるが、それはそれ。学恩ある先生方には一生頭を上げられないが、出ないよりは出たほうがマシってことだろうから、なんとか諮問も無事に通過できればと考えている。

 そんなわけで2月1日(木)午前3時、修正稿を無理やり提出。2月8日、却下ではなく諮問に進むとのことで印刷版を提出、投函。最速でも3月末に諮問とのこと合否は別にしても学会発表レベルの質は保っているつもりなので、どこかで出版にしたい。果たしてどうなるか。

 何にせよ、2014年5月末から京都に辿りつき願い、着手した事柄が10年越しで終わり始めている。とはいえ、まだまだ人生は続くわけで、40代の終わらせ方、50代の始め方、老後への備えなどが待っている。果たして、どうなるか。

 それと昨晩、ドイツとイタリアを往復している院生氏と通話した。ダブル博士号でも仕事は難しいらしい。大変な世の中である。が久しぶりに日本宗教史に関して楽しい雑談をした。で、彼の顔をみて学振PDについて思い出した。もし博士号をもらえたら応募できるので、研究者向けの生活保護を受けることができる。それが叶えば大変ありがたいが、果たしてどうなるか。まだ先の話である。ただ、もし学振PDとれたら、約10年にわたる苦行への手向け、わずかな贖いとしては悪くない。なんとかならんかなと2/12(月祝)の朝から妄想している。ちなみに職場で書いているが、この職場もなんとか止めて、別の仕事をしたいと考えている。

 なんとか4月には日記を再開したいと思っている。画像は2/7(水)深夜、大阪・恵美須町にて食べたワニのタン塩。うまかった。