どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

きもい。

先日、有名な学者さまであらせられるA氏とM氏の対談をお金を払ってみた。凄く楽しかったけど、不満が残った。福島も沖縄も分かるけど、でも、国内にもっと普通の街がたくさんあるじゃん。地方都市の様々な現実ってあるじゃん。それの何が悪いのさ。田吾作である人たちをバカにすることに何の意味があるんだよ。関東の人と話すときの違和感みたいなものの正体に気付いた気がする。つまり、東京≒日本で騙れてしまう、しょうもなさ、みたいな。あと、震災のときに、僕は国内にいなかったから、だからこそメルクマール的に扱ってしまうが、そもそも問題はたくさん昔からあったってのは事実だと思う。戦後を包括する起点が必要なのは分かるけども。

 

で、話を戻すと、その対談の中で「M氏が来る場所には意識高い人が集まるわ~」というコメントが流れていた。思わず笑ってしまった。意識高いって、そもそも何なんだ。僕も一度だけ、ある人に「~さんって意識高いのに、腰低い」とかそういうことを言われた。それ以来、可能な限り、その人との接触を避けた。結果、いまは連絡ない。嬉しい。

 

意識高いって、凄い。なんだろう、アンテナ張ってるとかそういう意味だろうけど。で、中には、本当に優秀な人もいるんだろう。だけどさ、意識高いってさ、どういうことなのさ。三流私大を留年かまして適当に出た僕に、語学力とか知見において劣るのにさ、意識高いとか笑ってしまうじゃないか。いや、冗談なのかもしれないが。

 

僕としては、意識高いと言ってる人は、基本的に居酒屋甲子園の人と同じに見える。何が違うのさ。ま、見えるだけで違うっていえば全部違う。ただ、両者ともキモイ。もちろん、僕もキモオタ無職メタボだから、死ねばいいのは分かるけど、目クソ鼻クソを嗤う的なさ、そういう世界だよね。

 

なんだろうな、意識高い系の人たちの了見の狭さが気持ち悪い。意識高い人たち界隈こそが世界。でも、ネットなくても楽しく暮らしてる夫婦や家庭はたくさんあるし、自己実現()とかいわなくても、毎日、仕事して税金おさめて暮らしてる人いるじゃん。それの何が悪いのさ、という問題。東京とか関東とかの、意識高い人たちの、ある種の選民意識がきもい。A氏とM氏の対談は、そういうキモさと世界の狭さが濃縮還元されてるように思えて、ムカついたんだと思う。でも、A氏もM氏も、僕は楽しいと思うけどね。その取り巻きのキモさかもしれない。

 

僕は意識混濁系のbotでいい。

ということで、意識高い人()