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どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

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全俺が泣いて笑った

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1(篠田博之) - Yahoo!ニュース

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開2(篠田博之)  - Yahoo!ニュース

 黒バス事件の人の話を読んで思ったこと。一言にすると、すがすがしいクズっぷり、あっぱれである。1と2を読んで笑ってしまった。ぜひ望みのムショ暮らしをしてみたら良いのではないかと思う。 

 

『自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと「10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた」ということになります。』

 

 僕と彼には何の違いもない。同じことを酒鬼薔薇聖斗事件のときにも思った。犯人と僕の違いはただの偶然とかそういう些細なことだと素朴に思う。犯人と僕の間にあるのは、ちょっとした環境の違いだとか、そういう類のことでしかなく、それは、もはや災害における確率の問題と化した「死」みたいなもんだ。理由があるわけじゃない。たまたま、その場にいたから、そうなった。そんな話。よく言われるアーレントの悪の凡庸さ問題みたいな話。

 

 秋葉原か何かの通り魔事件の後、カウンセリングに通う人が増えたという話があるが、受診者の多くが「私も彼と同じだ」と言ったとか。医者たちは「でも、同様に感じることと実際に行動に移すことでは全然意味が違う」と言って諭したらしい。確かにそうだと思う。社会的な枠組みに落ち着いている人の場合に限っていえば。

 

 でも一方で、僕や、この犯人のように社会の枠組みから気が付いたら脱落していた場合だと、もはや人生は産まれたときから罰ゲームみたいな思いを抱くことは不思議ではないし、社会的な枠組みから外れているが故に、精神科医の諭しも有効でないことがあると思う。 もちろん、そもそも社会の枠組みなんてあるのか、という定義できない単語の話になったりするわけだが、でも、それは、やはり存在している。輪郭を描けなくとも。たとえば、カツ丼の出汁と醤油は混ざってそこに存在しているので、不可分ではあれ存在は確認できるみたいな。

 

 ということで『10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして「人生オワタ」状態になっていることに気がついて発狂し』ているのは僕も同じで、あぁ、カワイソス(´・ω・`)俺、おまwww……と思いながら、ニュースを読んだという話。

 

追伸

 いつかはそういう日が来ると思っていたが、読者が減った。ちなみに、僕は読者になるボタンを押しても、どうやってそれを読めば良いのか分からないまま使っている。