どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

加齢を考えた朝、カレーを食べた夜

 昨日の朝、老人になっていくとはどういうことかと、ふと考えた。新入社員というか、そういう感じの人々や学生さんたちを見て、自分とは無関係にこの世界が春となり、新しさへとリセットしたことを感じる季節である。

 

 で、老化とは何か。老人になるということは、きっと誰もが持っていた、そして今は失ってしまった「若さ」への手の届かない切なさではないか、と思った。自分にもあった制服を来ていた頃、無邪気に笑えた時代、活力や精力に溢れて取り組んだ仕事とか、そういうことが何もかも過ぎ去っていくのが加齢なわけだ。しかし、若者が近くにいると、失った自分を少し思い出せるのかもしれない。だから、村みたいな社会や関係では、若い人が重宝されるのかもしれない。それを失いたくないから老人は、若者を自分の近くに留めておきたいのかもしれない。過ぎ去って、失ったものを知覚することが、年寄りってことなのかも。

 

 昨日は一日、外出だった。現代思想の評論家に会い、同世代ながら、その方の鋭い会話内容に、自らの無知を覚えさせられ、ついでに、某大の博士課程の人たちとカレーを食べた。そういえば、一日、パン食の日だった。朝に食パンとハム、昼はケバブ・ラップ、夜はインド・カレー。ない金を使った一日だった。