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どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:小雨、夢、この国のかたち

12月16日 火曜日

 午前中、日課的に過ごす。シドニーの事件についての続報など。イスラム教徒の印象を悪くするような話ばかりで、正直辟易している。もっと悪いやつらはいくらでもいるだろう。その中で、以下のニュースを見たが、これが本当ならオージー見直した。捕鯨にいちゃもんつけながらカンガルー殺してるだけの奴らじゃなかったんだな(偏見)

 
 昼食前に、博士所有で皆で使っている車のエンジンオイルの交換へ。先に、学生氏を繁華街まで送り、その後、スタンドへ行った。待ち時間の間に、古道具屋で電気カーペットを買った。帰宅後、ひたすら勉強。夕方、この前、訳したものについて友人にチェックをお願いした。有り難いし楽しい時間となった。

 話は変わるが、僕は都市伝説やオカルトが大好きである。なぜ好きかというと、その手の珍説奇説、噂は噂、都市伝説、街談巷説、道聴塗説の社会的受容や歴史的経緯がおもしろいからだ。で、最近、趣味で読んでいた本の中に、日ユ同祖論の話が出てきていた。

 日ユ同祖論というのは、歴史が古くて、たとえば16世紀には、ペドロ・ホレモンという人が、その著作『日本中国見聞録』において、そんなことは断じてあり得ないと言及している。即ち、明確に断罪せねばならぬ程度には、その説が広がっていたことの証拠だろう。上げればキリがないが、西洋における日ユ同祖論というのは、オリエンタリズムであって、18世紀啓蒙主義を経て、欧州からインドへ、さらにその東へと目を移した欧州の夢であった。

 たとえば、そんな夢が、仏教は東に間違って伝わったキリスト教だと誤認させるような話にもなった。稀代の変人学者ギョーム・ポステルにいたっては、釈迦はキリストを誤認したものであり、観音像は聖母子像の改変だと主張した。

 しかし、聖人にもなり、のちに認定を取り消された聖ジョザファの伝説などはまさにポステルに対しての歴史の皮肉であった。この伝説は、中世欧州で広く知られた話だったが、実は、釈迦の物語が伝承される中で、改変されて、いつのまにかキリスト教の話になっていた話である。18世紀以降の説話学や文献学、または地理学などの科学的発見がもたらした興味深い事実確認だった。

 また日本の側にも、西洋との接触で脱亜入欧的な夢を見た人々がいた。全部端折っていえば、江戸時代にキリスト教と接触した人々の中で、ポステルのような人々もいれば、仏教が間違って西方へ伝わりキリスト教となったと思う人々がいた。有名なものでいくと、ジョヴァンニ・シドッチと新井白石の対話であろう。『対治邪執論』や『排耶論』などに、それらを見ることができる。


 一方で、ポステルのように考えた日本人もいた。江戸時代からあげればきりがないが、中国に伝わった古代シリア教会=景教から着想を得て、キリスト教が古代の日本に伝わっていたとする珍説も現れる。ちなみに、これらの説は歴史学的には否定されているが、小説の題材として、司馬遼太郎や陳瞬臣が書いて流布したし、中里介山らの影響もある。

 とまあ、平たくいえば、日ユ同祖論というのは、19世紀以前に人々にとって、世界がまだ一つであった頃のある種のグローバリズムへの夢や憧れだった。しかし、第一次世界大戦を経て、地球規模で民族自決運動が始まる。必定、文化相対主義とナショナリズムの台頭となり、20世紀は戦争の時代となった。素朴に、世界の国や文化がつながっていたと信じることのできた時代は、兵器の轟音と人々の阿鼻叫喚の中に消えていった。

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

 

  日ユ同祖論というのは、そんな時代の中で醸成された、西洋という巨大な技術文明の世界史に自分たちを接続させつつ、しかし尊厳を保ちたい日本的自画像の横顔だったのかもしれない。

 21世紀になり、よく分からない衆院選を終えて、明治以来続く「この国のかたち」と自画像について考えた。僕としては一世紀を飛び越えた昔にあった東西交流の夢という形でのグローバリズムならば歓迎したいが、いかがなものか。明日は晴れて、明後日は雪になるらしい。春か夏になって時間が出来たら、京都の夢の跡を訪ねてみたい。