どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

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にっき:暦最終日、モンゴル、白い一日

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11月20日 日曜日 曇り

 朝、礼拝へ。今日は司祭が白い。なんだっけと思ったら、そうか。本日は「王であるキリスト」の祭日か。ということは、もう来週から待降節である。教会歴としてはこの日曜日が最終週なので、一年終わったのだ。早い。プロテスタントでは収穫感謝の日とかだったはず。教会暦を採用しない教派もあるし、米国ではそれらと関係なく11月最終木曜日は感謝祭Thanksgiving Dayを控えている。

 礼拝後、帰宅。少し暖かい。午後2時より何故かモンゴル人と環境保護を話し合うために、寺に召集されたので近所の旨いカツカレー屋で食べた。学生の団体が詰めかける直前に入って一席だけ空いていたところに座れたので良かった。海産物ルーのカツカレー。旨い。ほとんどの問題は、このカツカレーを食えば解決した気になるくらいうまい。

 腹も満腹になり出発。モンゴルについては「スーホの白い馬」とか相撲が強いとか、あとはチンギスハーンとか、その程度しか知らない。前知識はほとんどなく付け焼刃で伺ったが思わず多くのことを知る時間となった。行って本当に良かった。

 人口は300万人ほどで、半分がウランバートルに住んでいる。ウランバートルは煙の街と呼ばれるほどに大気汚染のひどい場所なんだとか。草原にすむ人々はゲルと車をもち、テレビアンテナもありスマホも使えるそうだ。そりゃそうか。通訳者は、成人するまで遊牧民として生きた人で、それまで文字を読めなかったが、一念発起して大学を出て、いまは数カ国語を自在に操られるのだそうな。すげえな。そしてまさかの「スーホの白い馬」の舞台が故郷なのだとか。まじかよ!?記憶違いでなければ小学校2年か、中学年くらいまでに、この話の絵本を図画工作か何かで、自作した。まだ実家のどこかにあるだろうか。

 伺った話でもっとも興味深いものは、ダライ・ラマ3世と白い柳の伝説、またテンゲルイズム(青空主義)というモンゴル人宗教学者自身によるモンゴル宗教の定義である。言及もされていたが、確かに、モンゴル帝国だけが世界宗教を平和裏に共存させた唯一の国である。話を聞けば聞くほど、漫画「ラーメン食いてぇ」を思い出したが、あとでググるとあの話はモンゴルでなくウイグル新疆自治区の話だった。

 懇親会では、モンゴルから来た御老人は、ししゃもを珍しそうに眺めて、ゲソ天を美味しいと食べられビールや日本酒を嗜まれた。78才、自分の荷物を自分で持ち、歩道橋も迷わず歩いていく屹立した姿勢と筋力に、大陸の民の力を思わずにおれなかった。

 あとは鉄血のオルフェンズに阿頼耶識が出てくるのだが、仏教研究者に改めて聞いてみたが覚えられなかった。何度きいても忘れる無我、阿頼耶識。この業がたまって阿頼耶識になる?でいいのか。

 もう一度お会いしたいと思う御老人に深く頭を下げて、握手をしたのち、友人博士と坊さんとでベローチェへ。修論は進まないが、楽しい時間である。帰宅後、オルフェンズ見て就寝。明日から修論をガシガシ進めねばならない。しかし、いつか僕に終わりの日が来たとき、僕はモンゴルの風のようになるのか、またはやっぱり車の排気ガスになってしまうのだろうか。資料として置いてあった写真集の中に広がる信じられないような美しい草原の景色、同時に、冬のモンゴルは零下35度から50度にもなるという世界。ほんの小さな不注意が死をもたらす、死が文字通り人の周囲を踊りながら近づいてくる世界。白い司祭服、白い馬、白い柳。何か心が白くなったように思える一日だった。

スーホの白い馬―モンゴル民話 (日本傑作絵本シリーズ)

スーホの白い馬―モンゴル民話 (日本傑作絵本シリーズ)