読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:日常動き出す、研究者たちとの夕食、思い出

f:id:timelost:20150104023612j:plain

1月5日 月曜日 晴れ

 昨晩、遅くまでやったので朝起きれず昼前に起きる。ドーナツと味噌汁と豚大根を食べた。昨日、土曜深夜の謎電話の正体がわかった。弟夫婦が休暇を利用してドバイへ行っていたらしいのだが、奥さんの体調が悪くなり、帰りの予定した飛行機に乗れず、その際の何やらで通訳が必要だったとのこと。英語ならわかるが、ドバイの何についても知らない僕が対応できたのか疑問である。通知不可能の表示は、おそらく、海外を経由したからだろうか。連絡が来たのは、弟たちが台湾で飛行機を待っている間だったので、とりあえず無事に帰れたらしい。良かった。

 朝、というか昼。起きて、ネットを流しみていると親戚の医者くんが婚約したとのこと。そりゃぁめでたい。非常にしっかりした人なので、嫁さんも幸せだろうて。末永く爆発しろ。

 他者の幸せをみたからか価値観と人間関係についてぼんやりと思う。結局、価値なんて人それぞれとしか言いようのないものなので、つまるところ、なんでもよくてどうでも良いという話にしかならない。なので、考えるのもしょうもないなと思った。強制されたり契約がないのであるならば、楽しめない価値観の違いを持つ人間関係など、遠目に見るくらいが一番ではないか。

  午後、身支度をして、書類の提出などで一日使う。手直しとチェックも終わり、無事に郵送できた。帰り道、咳が止まらないので、通りがかりの内科へ。風邪は治っていると思ったが、風邪薬とピンクの咳止めをもらった。早く治ってほしい。病院待合で内村鑑三の本を読み始めてみる。楽しい。

ヨブ記講演 (岩波文庫)

ヨブ記講演 (岩波文庫)

 

  夕食、気分転換に、友人の仏教研究者と「食と宗教」をテーマに鋭意執筆中の課程博士氏と食べる。外に食べにいっても良かったが、ちょうど味噌汁と豚大根は三人分あった。なので、ソーセジとキャベツ、あとカツオのたたきを買ってきて、ご飯を炊いて食べた。三人で食べるには十分である。

 様々なことに話が及び楽しかったが、同時に、最高水準の知性を持つ人々の悲哀もまた垣間見た。たとえば仏教研究者の人は、現在、有名国立大で助教の地位にあるが、期限付きらしく、再来年はどこで何をしているのか分からないらしい。能力、人柄、学歴、何においても申し分ないが、そんな人でも仕事がないのだ。退官教授が、私立大学の学長などに天下りすることをやめてほしいと冗談まじりに話したが、切実な問題である。圧倒的に優秀な人材である彼らが、生活の糧を得つつ、なお、その能力と学識をいかんなく社会のために発揮できる仕組みはないものか、と僕のような素人でさえ、ない頭をしぼって考えさせられた。

 あと、もう一つ話題としておもしろかったのは、お隣の韓国の話。最近は、ネトウヨ、ブサヨ、ヘイトに反ヘイトと話題に事欠かない問題であるが、個人的な意見はあまりない。ただ、いつも思い出されるのは在米時の友人たちだ。

 東日本大震災が起きた直後、ネットで地震だああああの阿鼻叫喚のあと、状況がつかめなくなった。その後、僕が最初にみた映像が東京のどこかで煙が上がっている映像だった。東京がやられたのか、と絶望的な気持ちになった。とにかく、今すぐ帰らなくては、とチケットを手配しようとしたが、成田は閉鎖されているとの情報に断念し、三日ほど寝ることができず、ひたすらネットで情報を見ていた。

f:id:timelost:20150104015708j:plain

 そんなとき、ある韓国人は僕のところにきて「残念だけど、これは神の裁きだと思う」と言いに来た奴がいた。腹立つのをこえて呆れた。一方で、別の韓国人は僕のところに来ていった。「おまえ、食べてないだろう。嫁がお前のために弁当をつくったから持ってきた。何でもいいから食べろ。祈っている。」と言って、笑顔で軽く僕の肩に手を置いた。瞬間、僕は泣き崩れそうになった。

 国籍が人格を決めることなどない。確かに社会構造からくる市民の傾向、まはた政府の方向性ということは存在しよう。そこにおいて、互いに理解できないということを理解せざるを得ない場面も多々あろう。だが、床屋談義ではあるが、普通に考えれば、北にはロシア、西には中国、海を渡って米国という地政学的な立ち位置を思うに、いわゆる半島と列島、そして沖縄と台湾というのは、大国の波間に揺れる小国として、もう少し歴史的にも経済的にも良いことになった可能性はあったのではないか、と思う。さらに南へと広がる東南アジア諸国との関連を含めてもよい。

 たとえば琉球王国の交易圏は、ざっくりと戦中の日本版図にかぶる。つまり、東アジアにおける商売の相手や隣人というのは、価値判断は別にして、半島と東南アジアだった。僕がこんなことを書くのは、単なる19世紀以前のグローバリズムへの懐古趣味なのかもしれないけれど。

 何にせよ、国籍と人間は別の問題である。地政学的な歴史の話を課程博士氏としながら、そんな記憶が思い出された。結局、一時過ぎまで話し込んでしまい、課程博士氏は雪の残る中、自転車にまたがって笑顔で京都路地の闇に溶けて消えた。