どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

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にっき:米国人、悩み、長い引越のおわり

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8月15日 月曜日 くもり

 朝、在米時の同室者と話す。願っていた仕事に就き、順調なようで何より。近況を話したあと、思い出したように大統領選について訊いてみたらトランプは阿呆だが、ヒラリーほど邪悪でないので、トランプのほうがマシとのこと。なるほど。あと日本の終戦・敗戦記念日であることを思いだして伝えたが、彼は知らなかった。何でもそうだが、勝者は下した相手のことは忘れるものである。あゞ、米国人よ...。

 午後、多くの人が世話になる世界的企業で研究開発する友人と期せずして電話。旧帝博士卒、身長は180cm、頭脳明晰だけでなく笑顔の爽やかなイケメン・スポーツマン。神は何物も与えるのである。夕方、引越について、どうするべきか本当に悩んだので何人かの人と話した。事実上、修論を書くだけのたった三か月半のために初期費用20万近く払い、さらに普段の固定費を加えると、バカみたいな額になる。いっそ退学して警備でもしたほうが理に適っている。

 夜、一日悩みすぎたためか、京都に引っ越して三年目になることを思い出し、今回の引越云々が長い引越の顛末であると気づいた。この二年間で確かに変化した。言語化することは難しいが、端的にいえば自由になった。僕の自由のためにコストを払ってくれた人々への納得は、何かの形で決着せねばならない。しかし、それだけだ。そう思うと、こうやって引越したり、仕事探したりと、これから何度繰り返すか分からないが、続けているうちに、いつのまにか時間切れとなるのだろう。生きてる以上は、やるしかない、どうしようもない話。
 引越し先について不安と悩みに苛まれる一日の最後に突如現れた意外な平安。二年前からの長い引越しの決着が、いま訪れていた。そう思うと、場所の選定、直近の支払い、学位取得の有無の問題も、実はたいしたことではないと思えた。引越し候補の顛末、それは、詩篇にあるような心地だった。
ps 18:19
 主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。
 主が私を喜びとされたから。

 

そう思えば、まあ悪くないか。