還るべき場所、帰りたい場所というのは、人によっていくつかある。ぼくの場合、その一つが沖縄だ。身近な海外とでも言おうか。日本円も日本語も通じるのに、どこか拭えない異国情緒がある。中高生時分から憧れるようになり、いつしか通うようになった。だから今回は、沖縄日記である。ではなぜ沖縄について御帰宅日記に記すのか。なぜなら御屋敷で友となった、ある旦那様と訪問することになったからだ。以下はその記憶である。
10月7日 日曜日 晴れと秋雲
今年に入って何度目かの台風一過のちに、疲れ果てて電車を駆っている。昨年の訪沖は夏の始まりに重なった。今年は夏の終わりとなった。車窓にグラデーションを彩る夕焼けもぼくも、互いにきっと忘れてしまうだろう。そんなことが去来して、ふと太平洋文学の系譜について考えた。池澤夏樹に『沖縄への短い帰還』「太平洋に属する自分」という講演録がある。彼は中島敦、吉田満に連なる作家として、自身を置く。
せっかく沖縄に行くのだしと、中島の『風と光と夢』をキンドルで読み始めたが、疲れていたので中書島から樟葉まで寝てしまった。その後もネットラジオにコメントして、VillAngeの統合先e-maidへと御帰宅。時季のものとして秋刀魚定食があったので、それを頼む。おいしい。プラズマ研究者に会い、ネット仲間も加わって楽しい夕餉となった。
9時半を過ぎたので泉佐野を目指す。明日午後、関空14時過ぎ発のLCCに乗るのだ。当日、京都から行けなくもない。しかし、本日、大阪と京都の自宅を往復し、明日に自宅からタクシー、地下鉄を乗り換えで京都から特急はるかで空港へ、という行程は、泉佐野でビジホに泊まるのと値段は大差ない。何より、普段寝るような時間に起きて家を出るという無謀なことをしなくてよい。
だから南海電車に乗った。普段使うことはないので、すでに旅気分である。予定より早かったが、駅員に聞いて、目の前に来た電車に乗った。折しも指定席車両だったので、そのまま510円を払って乗車。京阪でいうところのプレミアムカーであろう。快適な車内を楽しみつつ、ほどなく泉佐野に到着した。
深夜の駅は人通り少なく、地元の若者が街灯の下で大声で笑っていた。駅前通りというが、台風の爪痕だけではない古さが見て取れる。徒歩2分と聞いていたが、たしかにすぐに見つかった。
11時前にはチェックイン、とくにすることもないので、だらだらとネットを見て1時半には眠った。少し郊外の、寂れたビジネスホテルは大好物である。落ちつく場所だ。チェックアウトは11時らしいので、駅前の喫茶店にでも行き、忘れた洗面用具を買おうと思った。明日は某氏と合流して、那覇を目指すのだ。