どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

にっき:人文学と天文学、国際感覚、坊さんきた

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5月11日 水曜日 雨のち夕方に晴れつつ

 朝、メールを開くと、外国人助教から意味不明な頼みごとが来ていたので、自分でやってくださいと即答しておいた。ある程度、人間関係があれば多くの人は、頼みごとをされるとちょっと迷うんではないかと思う。少なくとも僕は考える。でも、そういう傾向を利用して、自分の雑用を他人にやらせようっていう人は、ちょっと遠慮したい。アメリカ人なので文化の違いもあろうが、まあ、ならば無理なものは無理と米国式に明確に、今後彼からの連絡は積極的に断っていくつもりである。国際政治の大変さを数ミクロンくらい経験した気がする。

 授業なので学校へ歩いて向かった。寝起きで歩くのは目が覚めるからよいが、ちょっとつらい。講義を聴きながら人文学というのは天文学によく似ているなぁと、ふと思った。天文学では、たぶん基本的に研究者は対象に触れて実験できない。観察できるだけである。だから地球上において観測される物理法則から天体の動きなどを理解し説明するのだ。もちろん最近は惑星探査で月の石などは持って来れるらしいから、物理的資料を触れるようになった。惑星物理学という範囲の話が出てきたりする。

 天文学は、いま自分たちが立っている場所から空間的に遠く離れたものを扱う。厳密には時間の問題が入ってくるが、そこはおいておく。一方、人文学は、今ここから、過去の人間たちを観測する。実験は出来ないが、蓄積された人間に関する知から、過去の人間たちの行動なり内面、その集合である社会などを説明してみせる。つまり、望遠鏡の向きが遠い宇宙なのか、遠い過去なのか、と考えれば似ていなくもない。星が動くように、人々は流れ動いてきたのだ。

 昼食は、前々から行ってみたかった有名なDragon Gateなる中華飯店へ。ホール担当のおばさんが怖いことで有名なのだが、味が良いのだ。初めて来たので、びびりながら定食を頼んだ。確かに美味しい。が、相席した人の都合で、僕は移動を余儀なくされ、そのせいか注文を忘れられていたらしく20分は待たされた。そして、外にでると傘がなくなっていて、帰り道、犬が飼い主なしで歩いていたので携帯で撮ると吠えられまくり、しかもその犬と進行方向が同じだったため、犬からすれば、僕が彼を追いかけているように見えたらしく、1分ほど吠えられ続けた。ということで、美味しかったけれど。

 食べながら思ったが、もしかして日本の昔ながらの光景というのは、こういうものなのかもなと思った。外国語が飛び交う中で中華料理を食べ、店のおばちゃんがキレながら接客している様子は、中華文明の辺境たる日本の本来的な姿なのかもしれない。東京の洒落たカフェでうんたらかんたらというのは、単なる幻想というか。

 食後、歩いて帰宅。友人の浄土宗のお坊さんが京都に用事があるということで、今晩泊まっていく。なので、階段にワイパーをかけた。夕食は、高知くんと坊さんとで食べて、夜はガルパンをお坊さんに紹介した。明日は研究室召集日である。

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