12月18日 土曜日 晴れと雨を交互に
11時20分に友人と待ち合わせ、北部の世界遺産「今帰仁城跡」を目指す。国際通りを歩きながら初めて沖縄に来たとき、じつに20年以上前に食べたと思われるレストランを見つけた。行きしな「七つ墓」を見学しようとしてたら、近所の老人に「ここにはない」と指摘された。ほとんどゲームのキャラのような抜群の登場タイミングに笑ってしまった。しかし、ならば本物の七つ墓はいずこへ。
かなり汚いカーシェアの車に乗り、A&Wにて腹ごしらえ。途中雨がふったり晴れたりで結局洗車しなくても大丈夫になった。名護手前の許田まで高速で一気に進んだ。
道の駅・許田は、名護東道路の開通に合わせて改修されて陸橋が設置されている。そして波間に漂う灰色は軽石である。一生に一度見れるか否かの光景かもしれない。
結局、名護東道路をとおり、世界遺産「今帰仁城址」へ。雨と晴れを交互に繰り返す奇妙な天気のせいか、ずっと虹が出ている。到着し、トイレに行き思い出す。そう、世界遺産だからか、トイレもやたら開放的ですごい。前回きたときはサンダルだった気もする。大した距離ではないが見学に来るなら、運動できるクツで来たほうが良い場所である。
前回来たのは、たしか夏でセミが鳴いていた。反響どころか共振するかのごとき、あの空間をもう一度味わいたいと思った。とはいえ冬に来ると人も少なく、ゆっくり、じっくり遺跡を確認できる。何より暑くない。城壁からみえる景色は「美しい」の一言に尽きる。三山時代、琉球王国時代、王家と家臣らがみた景色は中世以来あまり変わらないのだろう。エモい。
しかし冬至前ながら八重桜のつぼみと気がせいて咲いた一輪を見かけた。城内の御嶽跡をみてのち、地元のばあさんと門番のねこを見て、集落跡へ。村落跡地をみていたら神女ノロの拝所跡?を見つけた。チョウに導かれるように誰も顧みていない拝所の横をとおり、奥に入ると現役の祭壇をみつけた。ちょっとビビってしまう。
じっくり見学できたので帰路につき、那覇を目指す。名護東道路以前のカーナビでは、車が土中を進む表示になっている。トンネルを抜けたらそこも沖縄で、許田にあるレストラン「ぬちぐすい」で紅芋もちとそばを食べた。
旧ソ時代みたいな共産党の建物みたあと、スタバにて取材のち、雨中、歩いて琉球八社のひとつを探したら、気合の入ったイルミネーションの家あり。琉球八社がひとつ、安里八幡宮にお邪魔して30分くらい歩いて帰った。
休憩のち友人の知人が経営する店へいきウーロン茶を飲んだ。賑わう深夜の国際通りを歩いて、ミニそば食べてホテルへ。沖縄、さすがに若者多い。感染拡大と人口増加は連動しているということか。
12月19日 日曜日 快晴
明けて朝、20年以上前から知る友人を数年ぶりに訪ねた。まず彼のいる教会へ行く。家族だけの教会。どうやら牧師は友人を8才から知るという。公設市場にて刺身を食べて、4時間ほど近況報告。文字通り旧交を温めた。その後、お菓子御殿で伝統菓子をキメ、古本屋を2軒ほど巡った。買うのはまた次に来たときでよい。
満足して歩いているとチャットが来て気づく。そういえば誕生日である。冬至前後なのにまだ明るい空を見ながら、歩行者天国となっている国際通りをひとり歩いてホテルへ戻った。
休憩のち、瀬長島の友人を再度訪問。満月の夜、今週できたばかりの屋上テラスにてノンアルビールとケバブを食べた。リゾート海の家とでも言うべきか。21時半、仕事を終えた友人が激安焼肉「安骨付き肉安」を奢ってくれるという。結果もろもろ忘年会的に盛り上がり、1時過ぎに出発。
電話しても瀬長島付近にはタクシーが走っておらず、1時間くらいは歩くことを覚悟。最悪2時間も歩けば到着する。歩き始めて20分後、無事にタクシーが拾ってくれた。どうやら沖縄の配車アプリはGoでなくDiDiがメインらしい。無事にホテルへ戻り荷造り、3時には寝た。
12月20日 月曜日 快晴
9時過ぎには出発。寝不足ながら直接空港へ。今回の滞在は取材半分、趣味半分であったが、予想外にフィールドワークの第一歩を踏み出したことになる。謎の滞在であった。10時45分、上空まで来て寝落ち。
少しだけ本を読んで、機下に鳴門の渦潮、神戸空港などを眺めて関西へ。エンジンの向こうに梅田からなんばが見えた。あれがぼくの街である。無事になんばへ到着。19時前より取材へ行き、そのまま大阪に一泊。さすがに疲れた。