どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

作業日、研究会、マルチバース狂騒

5月7日 土曜日 晴れ

 10時過ぎに起床。近所でパンを買い、14時までブログ更新。発表まで10日しかないので気合を入れて作業せねばならない。

 雑務のち14時よりオンライン研究会に出席。恩師や先輩方の姿勢に襟を正される思いがあした。「帝国神道的」という用語は初めて聞いたが、大変わかりやすい。ブラッシュアップされた。15年戦争と宗教、戦時神学、戦時教学というものの如何ともしがたさを知る。海老名弾正・渡瀬常吉・大谷美隆である。

 または日本化したキリスト教の戦時神学「罪」理解の実例として以下が指摘できる。時田信夫(1899~1990年)である。横浜浸礼教会(現在:日本バプテスト横浜教会)第5代牧師、晩年に関東学院大学名誉教授、勲四等瑞宝章の人物だ。

『日本基督教神学読本』89-90頁、1943、日曜世界社

日本人は『言あげせぬ』民族である。実践の国民である。随って神学論争は日本人の得意とする所ではない。しかし、敬神愛人の実践において、神国の建設すなわち神の聖旨に適う義と愛の実行において、必ずや日本化したる基督教に驚くべき『果』が結ばれることを確信する。それは、行としての礼拝、無言の中に神と交る荘厳なる祈祷会、敬虔なる聖書朗唱と、厳粛なる神の言の研究、忍耐と寛容を伴う礼儀正しき擬制奉仕、宣伝少なき隠れたる仁愛の社会奉仕などに現れるのではあるまいか。
 それは音楽と、社交と、宣伝のみに終始する西洋式礼拝や伝道集会とは著しく異なるものでなくてはならない。不敬虔なる聖書研究会と不自然なる祈祷会とは、空しき議論のみ多き、協議会、懇談会、親睦会などと共に、日本基督教界より消滅すべきものであると思う。

 つまり社会的に発言・活動せず黙して愛することが、西洋的な教会観と対置され、罪の指摘はできなくなったのではないか。とはいえ神学的には、そもそも何が罪なのか問題は当然問われるべきであり...。難しい問題となる。

 その後、翻訳を3本片づけて、よっちゃん、ウガンダ君とラーメンを食べてのち、夜21時よりドクターストレンジ新作をみた。映像はすごいの一言に尽きるが、少々エモい話であった。ドクター頑張らねば。

 帰宅後、スタトレ・ピカード2最終話。

 宗教研究的には興味深い事例を経験。3時過ぎには就寝。