9月17日 水曜日
午前中、通常営業。編集に連絡。昼食は、昨日かった半額チキン・スペアリブとそーめん。これでそうめんともしばらくお別れである。鶏肉は焼くのに時間がかかった。作るのは構わないが片付けるのが面倒だ。そういう意味で、同居人がいれば、彼らに片付けを任せることができる。有難いものである。もっとも一人暮らしだと、たぶん作らない。面倒だし高いし。
同居人学生氏より昼食後、なぜか数学の講義が始まった。僕は数学といえば、サイン・コサイン・タンジェント以降、意味が分からなくなってそのままなので、随分理解がひどい。が、彼の説明によって、積分、微分、複素数について理解することが出来た。魔法科高校の劣等生を例にして説明してくれたのだが、概念として理解すると、あぁ、こういうことだったのか、と思う。さすがです、お兄様!
数式だと意味が分からないわけだが、目的を説明し、言葉に直してくれると理解できるものだな。驚いた。以下、中学生程度の理解ではあるが、自分の記憶のためにメモっておく。
微分・積分:理論値である直線の機微を正確に知るための計算
- 積分:円を描くグラフの正確な値を知るために、便宜的に直線で描いたグラフの修正措置
- 微分:速度の微妙な上下・出力をより正確に知るための計算
- 複素数:整数・分数では数えられないものを説明するためのメタ装置
時間軸による自然科学の分類
- 物理は理論上の瞬間、点
- 化学は瞬間から秒
- 生物は日~年
- 地学は数百年~億年
力学
- 量子力学:分子を一個だけ飛ばした場合の存在確立の分布
- ニュートン力学は決定論、量子力学は神の介入可能性の穴が空いた
にしても中高生の頃、同じ様な授業を受けたことになっているはずだが、教師の腕もあるんだろうが、本人の理解のタイミングというのもあるんだなと思う。少なくとも20年前に同じ話を聞いても僕は理解できなかったんだろう。僕は何事でも他の人より気付くのが十年遅いといつも思っている。比較は無意味だが、数学に関しては20年遅かったようである(白目)
長い食後を過ごして、三時くらいから、同居人社会人の引越し古本市の中にあった本を読む。僕は比較的心理学とかを信じられない人間なんだが、文庫本を一時間で半分ほど読んだ。こういう話は、不十分でも定義をしてもらった方が良いと思うのだが、そもそも~でない、という形でしか表現できないことかもしれぬ。
大人になることのむずかしさ (岩波現代文庫〈子どもとファンタジー〉コレクション 5)
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夜、夕食に天津飯を作成してみた。餡の味が難しいと思ったが、山椒の合う味になった。立花隆をどう評価するか問題はあるけれど、以下の話を見た。それなりに面白い話だった。仏教者の皆さんの意見も聞いてみたい。
死ぬとき心はどうなるのか? そもそも「意識(魂)」と呼ばれているものの正体とは何なのか?/NHKスペシャル – @動画
話を要約すると以下のようになる。
臨死体験、神秘、夢、自我の場としての辺縁系は、爬虫類にもある脳の部位。
だから、機械でも動物でも意識を持つことができる。それらのことから以下のことが言える。
①脳における意識とは、神経の複雑なネットワーク上に存在し数式化できる【仮説】
②臨死体験は、ネットワークのスリープと起動の同時処理【仮説】
③脳は臨死体験を可能にする生理的構造を持っている【仮説】
④体験の解釈は各人の信念の問題。科学とは関係ない。
問題点としてはサンプルの少なさだろうか。蓋然性の高さだけでは科学とはならないし、脳の構造の個人差なり遺伝的気質の差による問題、また臨死体験者の文化的背景やバーナム効果の問題も言わねばならないのではないか。 もっとも最初仮説として紹介したものを結論のように提示する番組構成もどうかと思うが、NHKなんかに本気レスする方が(ry