どっか暖かいとこで猫と静かに海みて暮らしたい

ネットの海の枯れ珊瑚がふく泡...('A`).。。... 書いてることは全部嘘です

翻訳仕事、一日の語数、回転寿司うめえ

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5月28日 木曜日 快晴

 9時過ぎには起床。午前中は翻訳仕事を片付けて、午後から土曜午前中までを休みとした。身支度してシャワーを浴びながら、ふと文字を出力することでの満足感について考えた。

 だいたい、ぼくの場合、私事として週に趣味の駄文2,000字前後を1本、日記300〜800字を7回書いている。SNSのぼやきは多めに見ても週に140字が10回くらいだろう。仕事では、最低でも毎月2,000字が2本、1,400字が1本、翻訳800字が3本、その他800〜1,200字である。つまり、ぼくの文字出力は、毎月概算2万字である。

 嘘か本当かは知らないが、男女で一日に会話で出したい語数に差があるという。真偽のほどが定かでないし、そもそも観測データを取りにくい話だと思う。検索すると以下が出る。

 米メリーランド大学の研究結果によると、男性が1日に発する単語数は平均7,000語。一方、女性の場合は平均20,000語――およそ3倍もの単語数を発している……女性は1日に6000語以下しか話せないと、脳がストレスを感じやすくなる

 そもそも計測が難しく、かつ個体の言語能力に依存するので、おそらく統計としては当てにならないはずだ。また語数は英語における語数であって、他の言語でもない。 発音の認知なども関わるので、かなりデータを取るのは難しいだろう。だから、まあ話半分でよいと思うが、多くの人の実感には合うのだと思う。

 一応、これに乗って考えてみる。ぼくの場合、たしかに言語は脳内で動いているので、一日にそれが仮に七千語、つまり数百の文節、おそらく100程度の文章になっていることは想像しやすい。

 言語学者・金田一京助によれば、言語とは「伝承」である。このあたり、いつかぼくなりに詳しく論じたい。たとえば、昨晩、友人と言語ごとに「思想的」固有性があるとしたらそれは文法に宿るだろう、しかし、その固有性は語族のレベル程度までにしか分岐しないのではないか、と話した。

 なぜなら文法的要素としての「S・V・O」または「主語・述語・補語」とは、人間の認知における動力源とその作用と対象であるからだ。すなわち、これが大雑把にいって、人間の意味世界の規定的構造である。

 そして、金田一が言うように、言語は一個人を超えたものであるので、あらゆる個人以上のものを納める容器にもなる。つまり、言語という器に、他者、社会、自然、神がサラダのように盛り付けられる。

 そんなことを考えていたら贔屓の喫茶店へ到着した。畏友作家氏にも会って、静かに昨日かった怪談文庫を半分ほど読了して満足。満足したので陽の高いうちに帰洛したが、寝過ごして出町柳までいった。

 ウガンダくんと回転寿司を食べにいき、茶そばも食って、22時までKFCで雑談。帰宅後、超自然を2話みて、3時には就寝。昼は陽気なのに、夜は寒いの何とかしてほしい。明日はブログを更新し、部屋を片付けて、明後日からの宿直に備え、6月からは研究せねばならない。

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