2月1日 月曜日 晴れのち曇り
通常通り午前中は仕事。起きてすぐ、ふと気づく。東大で自然言語処理の研究してる友人が「数学だけが人類が滅んでも残る学問だ」と言った際の違和感の理由がわかった。要するに学である以上は言語であって、言語には解釈学的循環があり、その循環は言語の主体に依存するので、言語=記号と象徴は主体なくしてあり得ない、と言う話だ。
解釈学的循環の閉鎖性は、モノそれ自体とは明確に区別されるのではないか。端的な素朴実在論として「数学のみが永遠である」という命題は無意味な主題になってしまうように思う。物質の特性は、厳密にその記述とは区別されるんじゃないのか。寝起きにふと気づいてスッキリした。
友人いわく、非人間主体の言語学の可能性もあると。ただ、それを人間の言語で主張できないなら、それは学問でなく信仰になるのではないか。そして、ここまで来るとドイツにおける「文化科学」の問題として回収される気がする。そんなことを思った。
仕事のち贔屓の喫茶店へ。畏友作家氏に会って少し話して帰宅。帰りにヒンドゥー教入門を買った。早めに帰ったので、どうにも戻るのがもったいなく駅にて珈琲を飲んだ。いわゆるステーション飲みである…(悲哀)
ウガンダ君とバーガーキングを食べて帰宅。ゆっくりと放送やら映像をみて過ごして、2時には寝た。沖縄の墓暴きの話は、かなり面白かった。